「本当の価値」を商品と一緒にお届けしたい。イタリア雑貨ECサイト「ZacMuseo」立ち上げまでの軌跡と徹底したこだわりの背景とは。

♯イタリア雑貨 #新規事業 #ファッション

2023年12月13日 13時08分

タキヒヨー株式会社

1751年の創業以来、273年に渡って常に「消費者第一」を考え、変化する社会に対応し貢献してきたタキヒヨー株式会社。「常に新しいことにチャレンジする」という経営方針の下、ミラノ支店が海を越えて主導するイタリア製雑貨のイーコマースサイト、Zac Museoが目覚ましい成長を続けています。

イタリアにいながらにして日本市場でイーコマースをリモート運営するという大胆な取り組みは、どう生まれてどう発展してきたのか。

その軌跡と背景、そしてZac Museoに掛ける想いについて、ミラノ支店長の池城信子本人がお話します。

私、池城信子の経歴~イタリアで様々なビジネスを開拓し育むまで

 私には高校2年生の時にイタリア、ヴェニスのムラノ島に10か月間ホームステイをして現地の高校に留学した経験があります。帰国する飛行機で号泣しながら、この素晴らしく美しい国にまた戻って来ることを心に決めていました。

 進学した日大芸術学部では、文学、音楽、演劇、映画、そしてファッションを存分に楽しみました。その中で「ファッション」に焦点を定めた私は、1998年にイタリアに拠点がある繊維商社「タキヒヨー」に「イタリアに行きたいです!」と、高らかに宣言して入社したのです。


 テキスタイル事業部に配属され、当時東京コレクションで活躍されていた数々のブランドの生地を作らせていただくという充実した営業経験を経て、2000年に念願だったミラノ拠点へ転属。それからイタリアで24年もの月日が経ちました。


 そもそも「帰って来るなよ~(笑)」と当時の社長に送り出していただいたのですが、1970年代に既にニューヨークに拠点を設立していたタキヒヨーには、「その土地に芯から根付いてこそ真の拠点」という老舗ならではの長期的でオープンな考え方があります。

 赴任から約8年間はイタリアを中心とした欧州生地のインポート業務に特化して携わりました。2008年にイタリア拠点の責任者になってからは、やはりイタリアの強みであるレザー製品を主とした雑貨や、ニット糸及び製品などの取り扱いを始め、現地ならではの足を使ったリサーチと現地語ならではの密なコミュニケーションで、様々なビジネスを開拓し育んできました。

ローカル線を乗り継いで出張中

「モノづくり大国」イタリアで仕事をする醍醐味とは?

私が自分の仕事で一番好きな点は、「ひとつの商品が完成するまでに、一体どれくらいの人々の手間と時間が費やされているか」という背景の多くを知ることができるという特権です。


 小学生の時から「現場学習」に非常にエキサイトする子供ではありましたが、今でも工場に出向いてあらゆる手順を目にし、匂いや温度、湿度を感じ、商品に手を触れながら工程をレクチャーしていただくことはこの上ない刺激であり、感激です。

 そうした経験やコミュニケーションを重ねる年月の中、たゆまぬ努力を続けてモノづくりに励み、私達に商品を供給して下さる職人さんやメーカーさんに対する尊敬と感謝の念は日々、深まり続ける一方です。

 もちろん、こうしたモノづくりの現場は多くの国に在るものだとは思いますが、イタリアはやはり、「モノづくり大国」。壮大な歴史を経て、親から子へ、師匠から弟子へと代々受け継ぎ発展させてきた手工業の伝統が息づく文化と技術の奥深さは圧巻です。

イタリアで、オリジナルのモノづくりができないか試行錯誤する中、AGATA HANDBAGS社と出会う

 そんな中で「イタリアで、オリジナルのモノづくりを行うことは出来ないだろうか」という思いが芽生えました。それまでも「日本のお客様の別注企画」といった取り組みは何度となく実現してきましたが、更にもう一歩先へ進んでみたいと思ったのです。


 どれだけ展示会で歩き回っても、なかなか「ピンとくるデザインがない」、その「ピンとくるなにか」を独自に作り出し、発信することができれば、タキヒヨーの強みになるのではないかというアイディアが、常に頭の片隅にありました。

 レザーバッグの産地である、イタリア半島を長靴に見立てた時にふくらはぎの下の部分にあたるアブルッツオ州のAGATA HANDBAGS社に出会ったのは2018年、ミラノで毎年2回行われるMIPELというバッグの展示会に初めて出展した彼らのブースが目に留まりました。

 AGATA社の前身であるレザーバッグメーカー、バレリ社の2代目であり、バッグ職人であるルイージ、彼の妻であるブランドの全体をオーガナイズするデザイナーのチンチア、当時は大学生だった息子さん2人が家族総出で迎えてくれたのを覚えています。家族の絆の強い、とてもイタリア的な光景にほっこりとしました。

右から息子さんのエドワード、チンチア、ルイージ、エドワードのガールフレンド。

それまでロシアマーケットをメインにバッグづくりをしてきたAGATA社のバッグのデザイン自体はデコラティブで日本のマーケットにはフィットしないものでしたが、その仕上がりの美しさと軽さは、10年間あらゆるバッグを見続けてきた私にも衝撃的で、直感的に「見つけた!」と思いました。

 そうして直ぐに、当時バイイングをサポートさせていただいていた日本の大手ブランド様との大口の取り組みが始まりましたが、問題はロシア向けの派手なディテールに慣れたチンチアのデザインと日本マーケットのニーズの乖離。それを埋めるべく、私が自然とチンチアの企画を手伝うようになったのです。

 長年、日本で営業活動をする同僚たちのサポートをすることで裏方に徹してきましたが、自分のクリエティビティーを発揮できる場を自ら創りだすことができたのは、新たなモチベーションの発奮という意味でも大きなターニングポイントだったと思いますし、そうした場所を与えてくれたタキヒヨーの開放的な風土にも感謝しています。

行って見てびっくり!AGATA HANDBAGS社のものづくりのすごさとは?

「AGATAのバッグはなんでこんなに美しく、なんでこんなに軽いのか?」という謎は、初めて彼らの工房を訪問した際に、衝撃を伴って解明されました。

 バッグは数十枚に渡るレザーパーツを縫い合わせ、組み立てることで出来上がりますが、刃型をセットしたプレスカット機を手動で振り下ろしてガッチャンコ、ガッチャンコと切り出したレザーパーツを、まずは一枚一枚漉き機に通して、均一に、確実に強度を保てる厚みギリギリまで漉きます。

 そして更に、そのレザーパーツの一枚一枚の全周を、縁取るようにぐるりと漉くのです。既にこの時点で私は目を見張り、感嘆していたのですが、ルイージが非レザー製の補強用の芯地のパーツの全周も漉きだした時には目を疑いました。

 全くもって気の遠くなるような手間です。しかし、父親が1965年に創業し、自社ブランド「バレリ」が70年代には、当時既にミラノモードのランドマークであったリナシェンテデパートで取り扱われる数少ないバッグブランドの一つだったバレリ社の系譜を継ぐ生粋の職人であるルイージに妥協はありません。

 本当に一枚ずつ、表からは見えないような小さなパーツまで、丁寧に丁寧に漉いていくのです。

 そしてこの作業こそが、厚くなりがちなレザー同士の縫い合わせ部分を薄く繊細に仕上げ、レザー本来のしなやかさを最大限に引き出してバッグの曲線美を描き出し、かつバッグ全体を軽く仕上げる秘訣なのでした。

 レザーの切りっぱなし部分に関しては、コバ塗りも3回行われます。下地を塗り乾かしローラーでヤスリをかけ、色を縫って乾かし、もう一度色を重ねた上で乾いたら熱ローラーにかけて完璧に滑らかにするという丹念な作業を経て、耐久性に優れ、ずーっと触っていたくなるほどツルツルすべすべのカットラインが出来上がります。

いわゆるメゾンブランドのバッグでもここまでの手間がかけられていることは稀だと思います。AGATA社のバッグづくりに込められた技術と真心に感銘を受けた私は、彼らに出会えたことを心から光栄に思い、この取り組みに賭けてみようと腹をくくりました。

「AGATA HANDBAGS」を日本マーケット向けのブランドとして「NOVIA」で商標登録、AGATA社とタキヒヨー共同のブランドとなった

 ちょうど同じ位のタイミングで、ミラノ支店と長年連携していた日本のインポート雑貨チームの売り上げの増加に伴い体制が本格化したので、彼らが行っていた日本での展示会に便乗してAGATA社のコレクションを日本でお披露目することになりました。

 この際に、日本では商標登録できなかった「AGATA HANDBAGS」というブランド名を日本マーケット向けのブランドとして「NOVIA」で商標登録、AGATA社とタキヒヨー、両社共同のブランドとなりました。


 ラテン語源の「NOVIA」には、新しい、まっさらなという意味があり、いざ新しいブランドをスタートさせるには、そしてお客様にそのブランドのバッグを人生の大切な節目節目で心機一転、持って頂くには最高のネーミングであると考えました。

 NOVIAのコンセプトは「花束」。チンチアも私も花が大好きで、延々と花の話をしていられるので、「NOVIAのバッグを手に持つ女性がまるで花束を抱えているように祝福と自信に満たされ美しく咲き誇る」、そんな願いをこのブランドに込めています。

コロナ禍に訪れた危機をブレイクスルー。これがないと成り立たない、イタリアビジネスの鉄則とは?

こうして、日本マーケットにおいての取り組みがコロナで一進一退しながらも徐々に拡大し、日本のシビアな品質基準に照らし合わせて立ち現れる様々な問題にも、お互いに真摯に向き合いぶつかり合ってひとつずつ解決することで、信頼関係を築き上げてきました。

 ビジネスが順調である限りはお互いの良い部分しか見えず、困難な場面でこそお互いの本性が露呈する、ということが往々にしてありますが、不意に現れたコロナという非常に厳しい局面を互いの手を放さずに乗り越えたことも大きかったかもしれません。

 売上が良い時は全てが正解ですが、一転して悪くなるとお互いが不正解ということになり、自分の主張が通らなかったからだ、「こう言ったのに」「こうしていれば」という非生産的な被害妄想に捕らわれるようになります。

 チンチアと私も、デザインについては時にけんか腰になり、険悪なムードになったこともありました。かといって、お互い平和的に譲歩をして「妥協点」を商品化したところで、魅力ある商品にはならないことも、数々の失敗作をもって学びました。

 ブレイクスルーになったのは、徐々に数字に表れてきた、妥協を許さずお互いが心から良いと思えた商品こそが良く売れ、Zac Museoでもベストセラー商品になったという実績がもつ説得力です。

 NOVIAのコレクション全般についてはチンチアの主導権を尊重し、ZAC MUSEOで扱う商品についてはこちらの要望を優先してもらうことでバランスを取りながら、どちらかが好まない提案はあっさりと引き下げることで相手に妥協を強いらずに、お互いの「良いね!」を積み上げていくイメージです。

 イタリアにおけるビジネスの基本、それは日本と同様に信頼です。

 そして信頼関係と一言でいっても、忍耐と誠意を尽くしてお互いに諦めずに築き上げるもの、それはほとんど体感です。それを全身で体得していくこともまた、イタリアで仕事をする醍醐味だと思います。

NOVIAのベストセラー LIA MINI

オンライン限定のセレクトショップ「Zac Museo」をスタート。

インポート雑貨チームが高い能力と若い感性を発揮して独自のプラットフォームを構築

NOVIAを立ち上げた目的の一つとして、B TO C販路の確立、イーコマースへの挑戦は明確にあったものの、実はZac Museoに関しては、私はそのネーミングの決定にすら関わっていません。

 私としては、既に知名度があった大手ファッション通販サイトへの参入をイメージしていたのですが、その意図を汲んだ日本のインポート雑貨チームが、NOVIA以外のブランドの雑貨も取り扱う独自のプラットフォームを作り上げてくれたのです。

 こうしてZAC MUSEOがスタートしたのは2020年ですが、依頼されるままに生産管理やブログの執筆といった部分的な手伝いから関わり始め、私が本格的に運営に携わっているのはここ1年ほどのことです。

 順調に売り上げを伸ばし続けているZac Museo ですが、そもそもはタキヒヨーの「もと」社員の女性達の努力の賜物なのです。彼女たちがその高い能力と若い感性を発揮して、あらゆる土台とスキームを構築してくれました。彼女たちへの尊敬と感謝の気持ちもまた、ZAC MUSEOを引き継いだ私のモチベーションになっています。

 「もと社員」という言葉にはタブーな響きがありますが、日本においても「終身雇用」という概念がもはや正解でもデフォルトでもない時代です。

 特に若い社員にとっては、自分自身が成長するための、キャリアアップをするための転職という選択肢が当たり前となった今日、その現実から目をそらさず、在職中に存分に能力を発揮してもらい、その功績を会社の財産に着実に加算していく方法を模索する必要がある、そのヒントを少し得たように感じています。

Zac Museoのエクスクルーシブ、紙のような質感と軽さが特長のTYVEK®に特殊加工を施したオリジナル素材を用いるユニークなミラノブランド、BJANKOのバッグも人気。

Zac Museoにかける思い。顧客に満足して楽しんで頂ける最高のエンターテイメントに昇華するために。

 こうして私はZac Museoの「中の人」となって運営の主軸を担い、他の業務と並行して、日芸時代に戻ったかのように、文章を書き、イラストを描き、写真を撮り、様々なコンテンツも作成しています。

 もちろん、社外の様々なエキスパートの方々に力をお借りし、同僚達にも大いに助けられており、特に、日本で連携してくれている経験豊かな雑貨デザイナーの存在なしで Zac Museoは立ち行きません。多彩な彼女がグラフィックデザインやサイトヴィジュアルのディレクションと実装をし、商品企画やアイテムのセレクト、物性問題の解決といったあらゆる相談に乗ってくれています。

 物理的に日本と距離のある私が、ともすればどんどん離れていってしまう日本のニーズという確固たる「ベース」に客観的かつ冷静な視点をもって連れ戻してくれる雑貨のプロフェッショナルが、Zac Museoのバランスのかじ取りをしてくれているのです。

 直感ありきの私は、「自分のセンスが正解」だと思いがちですが、きちんと失敗してきちんと反省することで、「どうやらそうではないようだ」という事実を切に学んできました。

 私の大好きなPiLというバンドのRISEという名曲の歌詞にある「I could be wrong I could be right 」という言葉は、私の座右の銘です。私は間違っているかもしれないし、正しいかもしれない。そんなフラットな視界でこそ、世界をもっとも広く見渡せる気がしています。

 この目で見て、確かめて、本当に良いと思ったものを、客観的なフィルターも通した上で、全幅の信頼を置けるブランドから仕入れる。

 そしてZac Museoという宝物のようなプラットフォームで彼らの物語や作り手の想い、気の遠くなるような工程や商品の素晴らしさを、自分自身の言葉や表現を尽くして伝える、それは飽くなき挑戦です。


しかしそうした「本当の価値」を商品と一緒にお届けすることが出来れば、Zac Museoのお客様のショッピング体験は、更にワクワクとしたものになるのではないでしょうか。

 サイトに来て下さるお客様たちに楽しみ、喜んで頂くためのサービスや仕掛けを次々と考えて、スピーディーに展開し実現していくことが出来るのは、実店舗を持たないイーコマースならではのエンターテイメント性だと思っています。

 加速し続けるファッションマーケットでは、走りながら考えるしかないようです。

 並走してくれる仲間たちに感謝しつつ、諦めずにタフに走りぬくことで願わくはそのコースがタキヒヨーという会社の一つの道しるべとなること、同時にZac Museoを顧客の皆様に存分に満足して楽しんで頂ける最高のエンターテイメントに昇華すること、それが私の目標です。

 23年12月には、過去最高の売上額を大幅に更新し、念願の大台に乗せることができました。サイトの訪問者数、リピーター数はもちろん、SNSを始めとした様々な媒体を通した登録者数もぐんぐん増え続けており、「本当の価値が伝わり始めている」という実感が、私自身のプロフェッショナルであるべきエンターテイナーとしての自覚とモチベーションを日々高めてくれています。

日本で連携してくれている経験豊かな雑貨デザイナーのデザインによるLIA TOTE。A4書類やPCがすっきりと入る収納力と、上品な高級感と驚きの軽さを持ち合わせる人気アイテム